2021年11月6日土曜日

高校演劇の大会を終えて

木がある。

根、幹、枝、葉、花、総合的に見れば一つの生命体だが、個々に分ければ部位毎の細胞の塊。

生長点では細胞は増殖し葉も茂るが幹の細胞はある程度したら分裂せず

ただひたすら立っているだけで、生命としての活躍を終えたように見える。

だが、広い意味でそうではないのだと思う。

幹の中を通り水が上部の枝と葉に行き、そこで浴びた光による光合成で、

より大きな木になっていく。

蒸散による圧力で深く張った根の深い地層から沢山の水を吸い上げられるようになる。

若い枝葉だけでは生きていけない過酷な環境でも巨大な木になる事で生きていける。


自分もそうかと思う。

老境にさしかかり、自分の細胞の成長は止まり、花になる事はできない。

でも若い、新しい細胞達に光があたるように支えになり、

強い風をさえぎって折れないようにし、

高い枝の上の花を咲かせられるようにして

遠くまで種を飛ばせるようにする。

木としての総体的な成長と子孫を残すための補助的な活動をしていく。


もし若い細胞達がいなくなったら幹の古い細胞だけでは新陳代謝をする

事ができず枯れ木になって朽ちていくしかない。

だからそうやって若い細胞達を助けて一緒に生きていく事が年寄りとしての生きるスタンスだと思う。

自分にまた新しい生きる機会を与えてくれた生徒、先生、関係者の皆さんに感謝したい。



2021年9月20日月曜日

芝居の楽しみ方とか自分自身の評価のしかたとか部活の楽しみ方とか

 1.演技の評価とか

自分が上手くなったら嬉しい。

でも、自分で自分を見られないから、上手くなったかどうかわからない。

逆上がりなら、できたかできないかが自分で判定できる。

できない事ができるようになったら、わかる。

だからできるようになったらうれしい。

演技は他人の評価でしかわからないから、直接的にわからない。


対策1→自分を客観的に見る力をつける。

これは芝居していると感じる事だが、まず、自分の意識を2つに分裂させる。

メインの自分は役に入り込んで演技する。

サブの自分は、今の自分がどう演技しているかを客観的に観察して、

メインの自分にフィードバックをかける。

いつも言われている事(声量、滑舌、立ち位置、表情などなど)を自分で

判断しながら演技する。

(基礎連の時に、注意点を言葉で言ってもらうのはこのため)


これができるようになると、前回と比べて、自分が上手くやれた、変わらないか、

下手だったかがわかる。それにより演技も上手になる。


対策2→共演者、他人の演技をよく見る。

遊びでやるスポーツのラリーが続くと面白い。気持ちがいい。

それと同じで、演技も共演者と演技が噛み合って連携が深くなると

やってて気持ちがいい。 


1で言う、メインの自分として(役として)共感しても敵対しても。

役としてしっかり噛み合うと、舞台の上で生きる事ができると楽しい。


また2で言うサブの自分として、演じている自分として、共演者の演技を

リアルタイムで評価して、表情が上手いとか、感情が入ってるとかの

評価もリアルタイムでできるようになると、じゃあ、俺も頑張るか、って

励みになる。

当然、袖で見ている時は、完全に客観的に友達の演技が見えるから、

これはいいな、とか今回は乗ってないな、とかわかる。

今回はイマイチだな、とか、今回変えてきたね、とか言える。


2.しょせん芝居なんてさ

「ねばならない」を続けると面白くなくなる、かな。

もちろん、お客さんが感動してくれたら嬉しい。

大会で良い評価になったら自分も嬉しいし、他人からも褒められる。


でも所詮、芝居は「やらなくても良い事」。

やらなくても誰も死なない。テストの点も良くならない。

むしろ時間取られるから、テストの点も下がるかもしれない。

他の遊びをする時間も減る。


芝居やって、つまらないダメダメ劇やっても、誰かの

血が流れる訳では無いし、自分の財布が軽くなる事も無い。

だから結局ダメ元。遊びみたいなもの。


3.結局それでも

その前提で。

それでも、昨日よりいい芝居ができたら楽しい、嬉しい。

だからやるんだろう。

練習の調子悪かったらその日は下手になっただけ。そういう日もある。

別の日に盛り上がったらがんばればいい。


お互いそういうスタンスでやっていったら、心の風通しが良くなるんじゃないかな。

日々練習場でお互いに、その日の自分を高めあう、

生きた時間を過ごす事が自分への一番のご褒美なんじゃないかと思う。


そうして、充実した時間をずっと積み重ねていったら、

きっと本番で面白い芝居ができるはず。


その上で。

大会の勝敗などの評価はアイスのおまけと同じ。

沢山買えば当たる確率は上がるけど、当たらない事もある。

充実した練習を沢山積めば勝てる確率は上がるけど、

結局、結果は時の運。

オマケだと思っていればいい。


そんな事考えてます。


2021年4月11日日曜日

清水眞砂子さんのお話

ゲド戦記翻訳された、清水眞砂子さんのお話をTVで聞いた。

ゲド戦記の翻訳者としてしか知らなかったが、とても興味が持てた。

満州生まれだったこと。引き上げで幼少期に死と隣り合わせの

体験をしたこと。学生時代の事。

教師をしていたが、ゲド戦記と出会って翻訳家への道へ進んだこと。

児童文学を書きながら翻訳をしていたこと。

でも大学でも教えていて、若い人との触れ合いで様々な気付きを得たこと。

難しい単語を並べる事なく、しかし、一言一言が深く納得できる話だった。

年を経てもしてしまった失敗の話とか、学生から腑に落ちる答えが出てこないのは

正しく質問をしていなかったとか。

最近自分も感じる事を言葉にしてくれる思いだった。

老いるという事のマイナスとプラスとか。

日常での何気ない普通の凡庸な事柄がいかに大切な貴重な事という気づきとか。

言葉と教育の現実とか。

今自分がやっている学生との交流は間違いでは無い事を後押ししてくれた気がする。

彼女とはほぼ20歳違いだし、戦争という極限の体験の有無からして、

悟りの深さはまだまだ足りないのかもしれないが。

それでも深く共感ができる話ばかりだった。

彼女の話をもっと聞いてみたい、そんな気がする。

彼女だけではなく、年輪をもった人々の話をもっと聞かなければ

ならないのではないか。

今の社会は(いつの世でもかもしれないが)若さとか強さとか速さとか

目先の事ばかり追求しているが、もっと根本を見据えた真に賢い言葉と

行動をなおざりにしては行けないのかもしれない。





2020年4月11日土曜日

演劇が好きで練習が好きで出来てく過程が好き

今日、サワコの朝で風吹ジュンさんが、山登りの良さについて語っていた。
できない事をできる事に変えていくべく一つ一つ積み上げていく、って。
山登りは辛いけれど、できない事がふっとできる瞬間があって、
だからやめられない、って。

思い出した。
俺が演劇の現場でやってた事ってこれだった。

今までできていた事ができなくなって、先行きの目処も立たなくて
あまりの衝撃に思考停止していたんだと思う。

でも、思い出した。
基礎連の積み重ねで、できない動きができるようになる。
脚本解釈の積み重ねで文字だけだった脚本がリアルな世界になっていく。
動き練習の積み重ねで、つながっていない役者同士の動きが、
感情が、言葉がつながるようになる。

最初は役の形だけだった感情。
悲しみが、怒りが、喜びが、役者の体の底からの自分の感情と
繋がって噴出する瞬間。
その目線と表情と体と動きを見る瞬間。

練習の空間は、そういう空間だった。

また、そこで生きたいね。



2020年3月30日月曜日

俺のおすすめ映画


さて、コビットで皆さん遊び制限されてフラストレーション溜まってると思います。
そこで。私のお勧め映画を大紹介。
ハートフル映画からおバカな映画、バイオレンス、ごちゃまぜだし、
古い映画ばっかりですが、いいですよ。
いろいろなテイストの作品ばかりだけど、共通なのはみんな泣ける要素がある事かなあ。映画ライフのご参考に。


オーロラの彼方へ
30年の時を越えた「声のタイムトラベル」で結ばれる親子の絆を描いたSFファンタジー・サスペンス。
https://www.youtube.com/watch?v=gqSeVHvhoss

トゥルー・ロマンス
大量のコカインが入ったスーツケースを持ち帰ったことから、マフィアや警察に追われることになったカップルの破滅的な逃避行を描くバイオレンス・ロマンス。
https://www.youtube.com/watch?v=2oD0oFaf2GM

舞妓Haaaan!!!
サラリーマン鬼塚公彦(阿部サダヲ)が京都・祇園の舞妓と野球拳をしたいという夢を追い求めるというコメディ映画
https://www.youtube.com/watch?v=ZnCfXPJQdqI

僕のワンダフル・ライフ
飼い主の少年と再び巡り会うため生まれ変わりを繰り返す犬の奮闘を描いたドラマ
https://www.youtube.com/watch?v=z9PGBsd9dRE

スターリングラード
英雄となった実在の人物ヴァシリ・ザイツェフを主人公に、スターリングラーにおける激戦を描いたフィクション。
https://www.youtube.com/watch?v=BLtQIsv749A

ガタカ
遺伝子が全てを決定する未来社会を舞台に人間の尊厳を問うサスペンスタッチのSFドラマ。
https://www.youtube.com/watch?v=LQdjccJOfyU


メメント
前向性健忘(発症以前の記憶はあるものの、それ以降は数分前の出来事さえ忘れてしまう症状)という記憶障害に見舞われた男が、最愛の妻を殺した犯人を追う異色サスペンス。
めちゃわかりにくいがめちゃ面白い。
https://www.youtube.com/watch?v=qirQCqU1-1o

あとは、監督で言うと以下かなあ。(敬称略)
ラース・フォン・トリアー、クリストファー・ノーラン、クリント・イーストウッド、
ロマン・ポランスキー



2020年3月14日土曜日

コビッド19、演劇、人との繋がり

1.一般論
野田秀樹さんの「演劇の死」発言。

高須医院長が、公演やらなくても演劇は死なない、って言ってたけれど、
これは多分感覚の違いだと思う。
公演やらなくても人は物理的には死なない。
だが「演劇」っていうものは、コミニュティであり、文化であり、関係性
であり、情報が飛び交う一種擬似的な生命体だと思う。

例えば、コビッドにより高須クリニックの建物に入れなくなっても、
社員や患者や関係者は死なない。しかし法人としての会社は倒産するだろう。
それは法人の死だ。それと同じ。

例えばスペイン風邪と同じく2年間パンデミックになったとする。
公演ができなくなる
→生活のための仕事ばっかりやってて演劇から遠ざかる
→芝居のノウハウが無くなっていく。技術も低下する。
→観客も見る習慣がなくなる。
→公的な補助金や助成システムも申請されなければ無くなる。
こんな図式が見えてくる。

2.アマチュアについて考えてみよう。

人はなぜ演技をするのか。演劇をやるのか?

他人ともっとうまく繋がりたい。
成長したい、弱い自分を変えたいなどと言う、漠然とした思いはあっても、
人はそれほど強くないから、そのままではうまくいかない。
その手助けを演技が、演劇がやれる、のではないか。
自分という殻を演技という事で破れる事がわかるから。

例えば公演をやるとする。でも危険だから中止になる。
練習のために集まる。危険だから、と中止になる。
健康、安全、生きるためには遊びなんか諦めろ、と言われる。
言われなくても、周りが、社会が、ネットが、マスコミがみんなが言う。
遊びなんか我儘だから諦めるしかないかな、って思う。


3.自分のこと
俺は演劇作るのが好きだ。なぜか?
喋る、見る、近づく、怒る、笑う、泣く、動く、走る。
リアルな人を見る、それが演劇。
俺の場合はそれにプラスして、というか、それと同じ比率で、「作る」のが好きだ。
考える、知り合う、繋がる、協業する、助けられる、助ける、作る。
作る過程が面白い。
そして、人を育てる。方法を考える、育った人が見事な演技をする。
その成果を見るのは無上の喜び。

コビッドはそれを阻害する。
公演の機会を阻害する。
作る過程も阻害する。
人の成長の過程も阻害する。

もちろん、演劇だけでは無い。
音楽だって、ダンスだって、スポーツだって、みんなそうだ。
リアルでは一人での作業、ネット配信、小説、絵画、登山、などは
まだ少しは危険性が低い。
でも、特にリアルに人と一緒になってやることは、
その全てが阻害されてしまう。

どうすればいいんだろう?
ただ黙って耐えるのか?

他人を危険にさらす、と言われながら(思われながら?)
芝居をするのか?練習をするのか?教育をするのか?公演をするのか?
なにか別のチャネルを見つけるのか?

見えない・・・

パンデミックが社会に与える影響

我々に与える影響を考えてみた。

コビッド19の致死率が高い。1%だか2%だか3%だか。
結局致死率という指標が感染者のうちの死亡者としても、感染している
かどうかという母数自体が正確にはわからないし、重篤者が得られる
医療の状況によっても変わってくる。だから正確な値はわからない。
しかし、10%では無いし、50%では無いし、0.1%では無い。だろう。

ちなみに、スペイン風邪では人類の3割が感染し、その5%が死亡。
つまり人類の2%位が死亡した。


出典
「1918年から1920年までの約2年間、新型ウイルスによるパンデミックが起こり、当時の世界人口の3割に当たる5億人が感染。そのうち2000万人~4500万人が死亡したのがスペイン風邪である。」
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20200228-00165191/


さて。
人類にとっての一番の脅威は「感染する」という事だと思う。

人類の発展は、自分を助けるための利己的行動と、社会的な協業活動が一体となって
来たことでなされてきたと思う。

太古、例えば狩猟生活をしていた人間は、ばらばらに生き、
基本自分のためにだけ行動していた。

現在は、当然科学技術や社会的インフラという物理的な物はあるとしても、
基本、社会というネットワークにより、自分のための利己的行動が社会全体の
利益になっている。そして、それが効率化と科学技術の発達を急激に
推し進めてきた。

例えば自分の生活をするために農業をすれば、それにより食料を得られる人がいる。
自分の給料のために、自動車メーカで車を作れば、社会的には農作物を
消費地まで効率的に輸送できる。
そしてお金(現金だけでなく信用という意味でもいい)という形ですべてが
つながって、自分のための活動が他人のための活動になっている。
そしてグローバリゼーションによって、自分のための活動が人類のための
活動になっていた。そして、それはあらゆる局面で効率的に人類を進歩
させてきた。
仏教でいう、天国での長い箸状態だったわけだ。
1kara.tulip-k.jp/buddhism/2019077493.html

もし惨禍があったとしても、巨大地震のような災害だったり、致死性の高い
病気だとしても非感染症だったら、他人のための支援活動が自分を危険にさらす
割合が低い。

しかし、パンデミック状態では、その活動の伝達が阻害されてしまう。
自衛のため他人に協力する事ができない。
そして自分と他人のために行動すると、それにより直接自分が危険になってしまう。
だから自分のためにだけ行動する。その活動は狩猟民の生活と同じく極めて効率が悪い。

そして。

貨幣経済の本質はリアルな関係(商品という物も含む)を裏で支える信用だと思う。
しかし、感染によりリアルな関係が危険となったら、その対価である
貨幣も回らなくなる。
これはヤバイ。
危機での不安感により、自分だけを守ろうとする心理が働き、仏教でいう、
地獄での長い箸と言う状態になる訳だ。

さて。
分析はこれまでとして、さあ、どうする?って事だが。

すぐ効く特効薬は無い。(感染症としての、では無く、社会的危機に対する意味で)
危機の原因が、人間社会の基本に根ざす物だから。

まあ、当面は、巷で言われている、地味な以下の対策しか無いのだろう。
「感染爆発を遅らせる」
「医療システムを保持する」
「社会システムを保持する」
そしてテクノロジの発達で感染症の特効薬ができた、とすると、かなりの
好影響にはなるだろう。

対策としては非常に当たり前の結論になった。