2020年3月30日月曜日

俺のおすすめ映画


さて、コビットで皆さん遊び制限されてフラストレーション溜まってると思います。
そこで。私のお勧め映画を大紹介。
ハートフル映画からおバカな映画、バイオレンス、ごちゃまぜだし、
古い映画ばっかりですが、いいですよ。
いろいろなテイストの作品ばかりだけど、共通なのはみんな泣ける要素がある事かなあ。映画ライフのご参考に。


オーロラの彼方へ
30年の時を越えた「声のタイムトラベル」で結ばれる親子の絆を描いたSFファンタジー・サスペンス。
https://www.youtube.com/watch?v=gqSeVHvhoss

トゥルー・ロマンス
大量のコカインが入ったスーツケースを持ち帰ったことから、マフィアや警察に追われることになったカップルの破滅的な逃避行を描くバイオレンス・ロマンス。
https://www.youtube.com/watch?v=2oD0oFaf2GM

舞妓Haaaan!!!
サラリーマン鬼塚公彦(阿部サダヲ)が京都・祇園の舞妓と野球拳をしたいという夢を追い求めるというコメディ映画
https://www.youtube.com/watch?v=ZnCfXPJQdqI

僕のワンダフル・ライフ
飼い主の少年と再び巡り会うため生まれ変わりを繰り返す犬の奮闘を描いたドラマ
https://www.youtube.com/watch?v=z9PGBsd9dRE

スターリングラード
英雄となった実在の人物ヴァシリ・ザイツェフを主人公に、スターリングラーにおける激戦を描いたフィクション。
https://www.youtube.com/watch?v=BLtQIsv749A

ガタカ
遺伝子が全てを決定する未来社会を舞台に人間の尊厳を問うサスペンスタッチのSFドラマ。
https://www.youtube.com/watch?v=LQdjccJOfyU


メメント
前向性健忘(発症以前の記憶はあるものの、それ以降は数分前の出来事さえ忘れてしまう症状)という記憶障害に見舞われた男が、最愛の妻を殺した犯人を追う異色サスペンス。
めちゃわかりにくいがめちゃ面白い。
https://www.youtube.com/watch?v=qirQCqU1-1o

あとは、監督で言うと以下かなあ。(敬称略)
ラース・フォン・トリアー、クリストファー・ノーラン、クリント・イーストウッド、
ロマン・ポランスキー



2020年3月14日土曜日

コビッド19、演劇、人との繋がり

1.一般論
野田秀樹さんの「演劇の死」発言。

高須医院長が、公演やらなくても演劇は死なない、って言ってたけれど、
これは多分感覚の違いだと思う。
公演やらなくても人は物理的には死なない。
だが「演劇」っていうものは、コミニュティであり、文化であり、関係性
であり、情報が飛び交う一種擬似的な生命体だと思う。

例えば、コビッドにより高須クリニックの建物に入れなくなっても、
社員や患者や関係者は死なない。しかし法人としての会社は倒産するだろう。
それは法人の死だ。それと同じ。

例えばスペイン風邪と同じく2年間パンデミックになったとする。
公演ができなくなる
→生活のための仕事ばっかりやってて演劇から遠ざかる
→芝居のノウハウが無くなっていく。技術も低下する。
→観客も見る習慣がなくなる。
→公的な補助金や助成システムも申請されなければ無くなる。
こんな図式が見えてくる。

2.アマチュアについて考えてみよう。

人はなぜ演技をするのか。演劇をやるのか?

他人ともっとうまく繋がりたい。
成長したい、弱い自分を変えたいなどと言う、漠然とした思いはあっても、
人はそれほど強くないから、そのままではうまくいかない。
その手助けを演技が、演劇がやれる、のではないか。
自分という殻を演技という事で破れる事がわかるから。

例えば公演をやるとする。でも危険だから中止になる。
練習のために集まる。危険だから、と中止になる。
健康、安全、生きるためには遊びなんか諦めろ、と言われる。
言われなくても、周りが、社会が、ネットが、マスコミがみんなが言う。
遊びなんか我儘だから諦めるしかないかな、って思う。


3.自分のこと
俺は演劇作るのが好きだ。なぜか?
喋る、見る、近づく、怒る、笑う、泣く、動く、走る。
リアルな人を見る、それが演劇。
俺の場合はそれにプラスして、というか、それと同じ比率で、「作る」のが好きだ。
考える、知り合う、繋がる、協業する、助けられる、助ける、作る。
作る過程が面白い。
そして、人を育てる。方法を考える、育った人が見事な演技をする。
その成果を見るのは無上の喜び。

コビッドはそれを阻害する。
公演の機会を阻害する。
作る過程も阻害する。
人の成長の過程も阻害する。

もちろん、演劇だけでは無い。
音楽だって、ダンスだって、スポーツだって、みんなそうだ。
リアルでは一人での作業、ネット配信、小説、絵画、登山、などは
まだ少しは危険性が低い。
でも、特にリアルに人と一緒になってやることは、
その全てが阻害されてしまう。

どうすればいいんだろう?
ただ黙って耐えるのか?

他人を危険にさらす、と言われながら(思われながら?)
芝居をするのか?練習をするのか?教育をするのか?公演をするのか?
なにか別のチャネルを見つけるのか?

見えない・・・

パンデミックが社会に与える影響

我々に与える影響を考えてみた。

コビッド19の致死率が高い。1%だか2%だか3%だか。
結局致死率という指標が感染者のうちの死亡者としても、感染している
かどうかという母数自体が正確にはわからないし、重篤者が得られる
医療の状況によっても変わってくる。だから正確な値はわからない。
しかし、10%では無いし、50%では無いし、0.1%では無い。だろう。

ちなみに、スペイン風邪では人類の3割が感染し、その5%が死亡。
つまり人類の2%位が死亡した。


出典
「1918年から1920年までの約2年間、新型ウイルスによるパンデミックが起こり、当時の世界人口の3割に当たる5億人が感染。そのうち2000万人~4500万人が死亡したのがスペイン風邪である。」
https://news.yahoo.co.jp/byline/furuyatsunehira/20200228-00165191/


さて。
人類にとっての一番の脅威は「感染する」という事だと思う。

人類の発展は、自分を助けるための利己的行動と、社会的な協業活動が一体となって
来たことでなされてきたと思う。

太古、例えば狩猟生活をしていた人間は、ばらばらに生き、
基本自分のためにだけ行動していた。

現在は、当然科学技術や社会的インフラという物理的な物はあるとしても、
基本、社会というネットワークにより、自分のための利己的行動が社会全体の
利益になっている。そして、それが効率化と科学技術の発達を急激に
推し進めてきた。

例えば自分の生活をするために農業をすれば、それにより食料を得られる人がいる。
自分の給料のために、自動車メーカで車を作れば、社会的には農作物を
消費地まで効率的に輸送できる。
そしてお金(現金だけでなく信用という意味でもいい)という形ですべてが
つながって、自分のための活動が他人のための活動になっている。
そしてグローバリゼーションによって、自分のための活動が人類のための
活動になっていた。そして、それはあらゆる局面で効率的に人類を進歩
させてきた。
仏教でいう、天国での長い箸状態だったわけだ。
1kara.tulip-k.jp/buddhism/2019077493.html

もし惨禍があったとしても、巨大地震のような災害だったり、致死性の高い
病気だとしても非感染症だったら、他人のための支援活動が自分を危険にさらす
割合が低い。

しかし、パンデミック状態では、その活動の伝達が阻害されてしまう。
自衛のため他人に協力する事ができない。
そして自分と他人のために行動すると、それにより直接自分が危険になってしまう。
だから自分のためにだけ行動する。その活動は狩猟民の生活と同じく極めて効率が悪い。

そして。

貨幣経済の本質はリアルな関係(商品という物も含む)を裏で支える信用だと思う。
しかし、感染によりリアルな関係が危険となったら、その対価である
貨幣も回らなくなる。
これはヤバイ。
危機での不安感により、自分だけを守ろうとする心理が働き、仏教でいう、
地獄での長い箸と言う状態になる訳だ。

さて。
分析はこれまでとして、さあ、どうする?って事だが。

すぐ効く特効薬は無い。(感染症としての、では無く、社会的危機に対する意味で)
危機の原因が、人間社会の基本に根ざす物だから。

まあ、当面は、巷で言われている、地味な以下の対策しか無いのだろう。
「感染爆発を遅らせる」
「医療システムを保持する」
「社会システムを保持する」
そしてテクノロジの発達で感染症の特効薬ができた、とすると、かなりの
好影響にはなるだろう。

対策としては非常に当たり前の結論になった。