他人の間違いを見聞きする。
でも本人はその間違いが全然認識できない。
明らかな間違いで、他人からも指摘されるのだが、
本人はその間違いを認識できない。
て事はだ。
俺も同じ事をやっているはずだ。
多分やってる。
だから、自分の「正しさ」に対して常に疑問をもたなくちゃならない。
塩野七生さんが「加齢ではなく成功体験」が保守化の要因になっていると書いている。
年を取ると原因と結果のルールベースが経験から
作り出されていく。
それは非常に便利なツールなのだが、半面キケンな所もある。
当然、結果というのは現象を正しく捉えなければ当然間違えてしまう。
って事だから。
だから、現状認識の時に、ああ、これ、前にやった事だね、と思って
手抜きすると、判断を間違えさせる要因になるはず。
2019年4月14日日曜日
2016年11月20日日曜日
「逃げ恥」がリアルな訳を考えてみました。
50代男の分析なので、性別・年代違う方はどう思われるかわかりませんが。
男性7割・女性6割は「現在交際中の異性無し」
http://news.livedoor.com/article/detail/12306876/
だそうです。
良い悪いは別として今の若い方に関して実感はありますね。
で、理由を考えてみると・・・
恋愛・交際にはマニュアル、きまりが無いせいではないでしょうか。
今の若い方はやはり枠組みが無いとなかなか行動しにくい。
枠組みの中で行動するのは上手だが、枠組みを作る事自体については
あまり想像力が働いていない気がします。
その上で、対人関係の距離が遠くなっていますから、なおさら
その距離を埋める事ができない。
例えば気に入った相手にアプローチする。知人でも知人でなくても。
「知人」→「恋人」という人間関係のルール変更をする訳ですが
元々存在しなかったルールを作る訳ですから勇気がいるわけです。
だから付き合い自体が始まりにくい。
またもし始まったとしても。
人間関係ですから付き合いが始まっても常に順風満帆という訳ではない。
喧嘩もする。あたりまえです。
その中で片方が離れようとすると、昔は追いかけた訳です。蝶々のような
恋の駆け引きですね。
ところが今は追いかける事自体がかっこ悪い、悪、ストーカー
という事になってしまう。
去るものは追わない。だから離れる方向のベクトルだけが強化される。
そうしてどんどん男女関係は離れていく。
でも本能として近寄りたいという欲求は存在する訳です。
その中でつながろうという欲求をSNSがある程度は
満たしているわけですが、それよりもっと深く繋がりたい、
という思いを満たす事はできない訳ですね。
逃げ恥が上手に行っているのは(フィクションですが)
津崎が契約書を書いて、それに対してみくりが明確に応対している
せいでは無いのかと。
明確化すればそのルールに乗る事もできるし降りることもできるから。
だから今の若い人にとって逃げ恥がリアルに感じるのではないかと思います。
http://news.livedoor.com/article/detail/12306876/
だそうです。
良い悪いは別として今の若い方に関して実感はありますね。
で、理由を考えてみると・・・
恋愛・交際にはマニュアル、きまりが無いせいではないでしょうか。
今の若い方はやはり枠組みが無いとなかなか行動しにくい。
枠組みの中で行動するのは上手だが、枠組みを作る事自体については
あまり想像力が働いていない気がします。
その上で、対人関係の距離が遠くなっていますから、なおさら
その距離を埋める事ができない。
子供同士が遊んでいる時に、ちょっと喧嘩になる。
すると親が出ていって、「**ちゃんと仲良くしようね」
そういう事になる。それをしないと親同士が喧嘩になってしまう。
その延長で大人になると、自分たちでルールを作るのが苦手になる。「知人」→「恋人」という人間関係のルール変更をする訳ですが
元々存在しなかったルールを作る訳ですから勇気がいるわけです。
そしてアプローチをするリスクを取りたく無い。
嫌われたら損ですから。だから付き合い自体が始まりにくい。
またもし始まったとしても。
人間関係ですから付き合いが始まっても常に順風満帆という訳ではない。
喧嘩もする。あたりまえです。
その中で片方が離れようとすると、昔は追いかけた訳です。蝶々のような
恋の駆け引きですね。
ところが今は追いかける事自体がかっこ悪い、悪、ストーカー
という事になってしまう。
去るものは追わない。だから離れる方向のベクトルだけが強化される。
そうしてどんどん男女関係は離れていく。
でも本能として近寄りたいという欲求は存在する訳です。
その中でつながろうという欲求をSNSがある程度は
満たしているわけですが、それよりもっと深く繋がりたい、
という思いを満たす事はできない訳ですね。
逃げ恥が上手に行っているのは(フィクションですが)
津崎が契約書を書いて、それに対してみくりが明確に応対している
せいでは無いのかと。
明確化すればそのルールに乗る事もできるし降りることもできるから。
だから今の若い人にとって逃げ恥がリアルに感じるのではないかと思います。
2015年10月3日土曜日
ツィッターで世界がどんどん狭くなる
ツィッターを初めて2年近くなる訳だが、以前から薄々感じていた事。
他のSNSも同様だと思うが、他はほとんどやっていないので、
ツィッターでの感想。
ツィッターは便利。
自分の興味が有ることはどんどん情報が入ってくる。
興味がある事の共通の知り合いも増えてくる。
遠くの知り合いも増えてくる。
するとますます自分の興味がある分野の知識が増え、コミニュケーション量が増える。
素晴らしい。
しかし、だ。
全ての事には良い面と悪い面がある。
人間の持つ時間は有限なので、今までシェアしていた、自分に興味が薄い
他の情報を入手する機会が減ってくる。
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などのメディアから知識を得る時間も減ってくる。
スケジュール管理もばっちりだから、街を歩いても、目的地に一直線。
必然的に他の事をしている時間が少なくなる。
時間が余ったらツィッターで情報を得て、これから行きますなう、をやる。
だから、隣にいる、ツィッターをやらない人と話をする機会が減る。
雑多な情報を、新しい情報を入手する機会が減る。
世界にとっての世界は変わらないが、自分にとっての世界がどんどん狭くなる。
それをわきまえて使っていきたいものである。
他のSNSも同様だと思うが、他はほとんどやっていないので、
ツィッターでの感想。
ツィッターは便利。
自分の興味が有ることはどんどん情報が入ってくる。
興味がある事の共通の知り合いも増えてくる。
遠くの知り合いも増えてくる。
するとますます自分の興味がある分野の知識が増え、コミニュケーション量が増える。
素晴らしい。
しかし、だ。
全ての事には良い面と悪い面がある。
他の情報を入手する機会が減ってくる。
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などのメディアから知識を得る時間も減ってくる。
スケジュール管理もばっちりだから、街を歩いても、目的地に一直線。
必然的に他の事をしている時間が少なくなる。
時間が余ったらツィッターで情報を得て、これから行きますなう、をやる。
だから、隣にいる、ツィッターをやらない人と話をする機会が減る。
雑多な情報を、新しい情報を入手する機会が減る。
世界にとっての世界は変わらないが、自分にとっての世界がどんどん狭くなる。
それをわきまえて使っていきたいものである。
2015年8月13日木曜日
成長における形態と社会組織の形態
生物が成長の過程で、形ができてくる。
体内の物質の濃度勾配とかが原因で。
人間関係もそういう事は無いか。
人間関係もコミニュケーションの伝達速度は有限である。
また伝達の深さも有限である。
だから距離が遠いと立場が変わり敵になったりもする。
体内の物質の濃度勾配とかが原因で。
人間関係もそういう事は無いか。
人間関係もコミニュケーションの伝達速度は有限である。
また伝達の深さも有限である。
だから距離が遠いと立場が変わり敵になったりもする。
2015年7月1日水曜日
表現と現実
表現は表現だけ、ただの形で本質とは関係無い、という事はない気がしてきた。
(ケースバイケースで、度合いもあるけど)
例えば言語学で、言語表現が民族の生活から影響を受けていたりする。
逆に言語から生活が見えたり。
私の仕事で言うと、例えばハードウエア設計をする時に、図面の書き方で設計の効率が
全く変わってくるし、製造の効率も変わってくる。
ソフトウエアでは言語や環境が生成効率に深くかかわるのは周知の事。
表現は本質とは関係が無いはず、なんだが、結局はやはり深くかかわる。
つまり、表現したり受け取ったりするのは人間で、その人間は有限な時間と有限な能力で
その表現を見たり理解したり作ったりするわけだ。
だから、その授受の効率で結果が変わってきたりする。
生物と無生物の間、という本で書かれているのは、生命はプロセスである、という事。
これはこの表現のしかたによる効率に深く関連しないか?
例えば脚本を書いたとする。
良い脚本が良い演出を生み、良い演出が良い演技を生む、という仮説が成り立たないか。
(何が良いかは別として)
特に演劇はプロセスが大事な気がする。というかプロセスそのもの。
(ケースバイケースで、度合いもあるけど)
例えば言語学で、言語表現が民族の生活から影響を受けていたりする。
逆に言語から生活が見えたり。
私の仕事で言うと、例えばハードウエア設計をする時に、図面の書き方で設計の効率が
全く変わってくるし、製造の効率も変わってくる。
ソフトウエアでは言語や環境が生成効率に深くかかわるのは周知の事。
表現は本質とは関係が無いはず、なんだが、結局はやはり深くかかわる。
つまり、表現したり受け取ったりするのは人間で、その人間は有限な時間と有限な能力で
その表現を見たり理解したり作ったりするわけだ。
だから、その授受の効率で結果が変わってきたりする。
生物と無生物の間、という本で書かれているのは、生命はプロセスである、という事。
これはこの表現のしかたによる効率に深く関連しないか?
例えば脚本を書いたとする。
良い脚本が良い演出を生み、良い演出が良い演技を生む、という仮説が成り立たないか。
(何が良いかは別として)
特に演劇はプロセスが大事な気がする。というかプロセスそのもの。
2015年6月17日水曜日
コミニュケーション
ツィート見て。
妹んちにあった少女漫画色々読んでいて思ったんだけど、登場人物は全員もっと「報告」「連絡」「相談」を徹底すればそんな様々なすれ違いは生じないし、誤解も生まれないし、感情的になって思わずひっぱたいてしまったりすることもなくなると思う。あと少女漫画もなくなると思う。
その通りだと思う。
仕事していて思うのは、意思疎通の難しさ。
言葉は共通の土台が無いと通じない。
話せばわかる、という言葉は、話せばお互いの違いがわかる、程度。
話しても合意できるとはかぎらない。
その上、意志がなかなか伝わらない。真意が伝わらない。
会話していても、長くながく、じっくりと喋らないと伝わらない。
しかし、人間の時間は有限。だからわかりあう前に、会話を切り上げてしまう。
わかったと思いたいんだと思う。わからない事は面倒だから。
わからない、という事が不安だから。だからわかった気になるように
したい、という本能が働くんだと思う。 わかるエネルギーを最小にしたい
というものぐさな志向。
認知の枠組みも、第一印象バイアスがかかる。
たとえば「好きな人」「嫌いな人」という枠組みがあれば、その上に乗った
相手の言葉の認識も適当にすませる事ができる。
そのものぐさ志向がわからない、を増加させているのだろう。
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