2021年12月21日火曜日

音楽編集ソフトの使い方 準備編

 PC(Windows)での音響編集ソフトの準備

1.概要

有料ソフトもあるが、無料のソフトでもかなり使える。

無料ソフトはインストールに多少手間がかかるかもしれないが、それを超えれば

有料ソフトも無料ソフトもあまり変わらない。

本稿ではAudacityで説明する。 使い方の詳細はWeb上の説明に譲る。


2.導入

1)Audacity本体と追加ソフト(FFMpeg)をインストールする

方法

https://www.gigafree.net/media/se/audacity.html


2)注:プラグインが必要な理由

音楽のファイルは同じ音楽でも各種違うフォーマットで書かれている。

https://www.denon.jp/ja-jp/blog/3488/index.html

代表的な物は以下

WAV:昔からあるファイル。ファイルサイズが大きい。

MP3:代表的、良く使われる。圧縮されて同じ音でも小さいファイルサイズになる。

WMA:Windowsで良く使われる

AudacityはWAVには対応されるが、良く使われるMP3などには対応していない。

プラグインをインストールするとMP3など多くの汎用フォーマットに対応できる。


3.音楽データの準備

1)概要

音源の準備はフォーマット、音質の選択が大事。これは4項で後述する。

また大会や公演など、著作権が絡むものはそれに留意する。

2)CDからデータ化する

CDをPCに入れて、読み込む。

「メディアプレーヤ」というソフトでPCに取り込む。

https://faq.nec-lavie.jp/qasearch/1007/app/servlet/relatedqa?QID=018322

設定画面で、保存するファイルフォーマットを指定できる。

3)ネットデータ

無料のサイトがあるので上手に使う。

https://soundeffect-lab.info/

https://maou.audio/category/se/

https://otologic.jp/

大抵は使用方法につき指定がある場合はそれに従う。

4)自動生成、作曲

BGMなどの場合、ボーカル無しの音楽が使いやすい。

音楽を自動生成してくれるツールもできている。

イメージにより作曲してくれる。

https://studio-okina.com/ai-composer-best-tool/


リアルに作りたいなら作曲ソフトで作曲も可能。

https://trivisionstudio.com/free-daw/


4.音質、ファイルフォーマットについて

1)概要

PCはデジタルデータを扱うので、上手に扱えば音質は劣化しない。

しかし、基本的に良くなる事はない。そして、取り込み、変換、編集などの過程で、

音質が劣化する事もある。 

特に、編集時にヘッドホンで確認した時と、ホールで音響を鳴らす場合には、

かなり聞こえ方が違う。ヘッドフォンではそこそこ「聞ける」音質でも

ホールで鳴らすとノイズが酷くて気になる、という事がある。

音を入手する、ファイルフォーマットを変換する時などは音質が劣化しないように

気を付ける必要がある。

2)具体的注意点

同じ音でも違うファイルフォーマットがある。

音の取り込みから編集、現場での再生の中で常にフォーマットはついて回るものである。

では何を選ぶべきか?どうすべきか?

使い勝手=ファイルサイズと音質はほぼ反比例する。

大きいファイルはだいたい音質がいい。小さいファイルは音質は悪くなる。

WAVフォーマットを選べば音質は最高だがファイルサイズが大きくなるので

推奨しない。

MP3,WMAを使えば圧縮によりファイルサイズが小さくなる。しかししすぎると

音質が劣化するので、最高音質にしておいた方が無難。



演劇用の音響 概要

1.概要

作業は以下に分かれる

1)音響演出(どのシーンでどのような音を鳴らすか決める)

2)マスター音源製作

3)当日(もしくはリハーサル、練習中)の操作(オペレーション)

未経験者は操作=音響(担当)と思うかもしれないが、実際の作業は皆大切である。

本稿では2)の技術的内容を中心に述べる


2.工程

1)選曲 

音響演出に従って音源を収集する。そのまま使える場合と、加工が必要な場合がある。

不足している物は製作する。

2)編集、製作

スマホでも可能だが、操作性や後のマスター作成考慮するとPCを推奨する。 

製作する場合も一から作るのは非常に大変なので、音響のCDや、ネットの音源を

持ってきて編集、加工すると効率的

3)マスター作成

製作・編集した音源を順番に並べてCDに焼く(ライティング)



2021年11月6日土曜日

高校演劇の大会を終えて

木がある。

根、幹、枝、葉、花、総合的に見れば一つの生命体だが、個々に分ければ部位毎の細胞の塊。

生長点では細胞は増殖し葉も茂るが幹の細胞はある程度したら分裂せず

ただひたすら立っているだけで、生命としての活躍を終えたように見える。

だが、広い意味でそうではないのだと思う。

幹の中を通り水が上部の枝と葉に行き、そこで浴びた光による光合成で、

より大きな木になっていく。

蒸散による圧力で深く張った根の深い地層から沢山の水を吸い上げられるようになる。

若い枝葉だけでは生きていけない過酷な環境でも巨大な木になる事で生きていける。


自分もそうかと思う。

老境にさしかかり、自分の細胞の成長は止まり、花になる事はできない。

でも若い、新しい細胞達に光があたるように支えになり、

強い風をさえぎって折れないようにし、

高い枝の上の花を咲かせられるようにして

遠くまで種を飛ばせるようにする。

木としての総体的な成長と子孫を残すための補助的な活動をしていく。


もし若い細胞達がいなくなったら幹の古い細胞だけでは新陳代謝をする

事ができず枯れ木になって朽ちていくしかない。

だからそうやって若い細胞達を助けて一緒に生きていく事が年寄りとしての生きるスタンスだと思う。

自分にまた新しい生きる機会を与えてくれた生徒、先生、関係者の皆さんに感謝したい。



2021年9月20日月曜日

芝居の楽しみ方とか自分自身の評価のしかたとか部活の楽しみ方とか

 1.演技の評価とか

自分が上手くなったら嬉しい。

でも、自分で自分を見られないから、上手くなったかどうかわからない。

逆上がりなら、できたかできないかが自分で判定できる。

できない事ができるようになったら、わかる。

だからできるようになったらうれしい。

演技は他人の評価でしかわからないから、直接的にわからない。


対策1→自分を客観的に見る力をつける。

これは芝居していると感じる事だが、まず、自分の意識を2つに分裂させる。

メインの自分は役に入り込んで演技する。

サブの自分は、今の自分がどう演技しているかを客観的に観察して、

メインの自分にフィードバックをかける。

いつも言われている事(声量、滑舌、立ち位置、表情などなど)を自分で

判断しながら演技する。

(基礎連の時に、注意点を言葉で言ってもらうのはこのため)


これができるようになると、前回と比べて、自分が上手くやれた、変わらないか、

下手だったかがわかる。それにより演技も上手になる。


対策2→共演者、他人の演技をよく見る。

遊びでやるスポーツのラリーが続くと面白い。気持ちがいい。

それと同じで、演技も共演者と演技が噛み合って連携が深くなると

やってて気持ちがいい。 


1で言う、メインの自分として(役として)共感しても敵対しても。

役としてしっかり噛み合うと、舞台の上で生きる事ができると楽しい。


また2で言うサブの自分として、演じている自分として、共演者の演技を

リアルタイムで評価して、表情が上手いとか、感情が入ってるとかの

評価もリアルタイムでできるようになると、じゃあ、俺も頑張るか、って

励みになる。

当然、袖で見ている時は、完全に客観的に友達の演技が見えるから、

これはいいな、とか今回は乗ってないな、とかわかる。

今回はイマイチだな、とか、今回変えてきたね、とか言える。


2.しょせん芝居なんてさ

「ねばならない」を続けると面白くなくなる、かな。

もちろん、お客さんが感動してくれたら嬉しい。

大会で良い評価になったら自分も嬉しいし、他人からも褒められる。


でも所詮、芝居は「やらなくても良い事」。

やらなくても誰も死なない。テストの点も良くならない。

むしろ時間取られるから、テストの点も下がるかもしれない。

他の遊びをする時間も減る。


芝居やって、つまらないダメダメ劇やっても、誰かの

血が流れる訳では無いし、自分の財布が軽くなる事も無い。

だから結局ダメ元。遊びみたいなもの。


3.結局それでも

その前提で。

それでも、昨日よりいい芝居ができたら楽しい、嬉しい。

だからやるんだろう。

練習の調子悪かったらその日は下手になっただけ。そういう日もある。

別の日に盛り上がったらがんばればいい。


お互いそういうスタンスでやっていったら、心の風通しが良くなるんじゃないかな。

日々練習場でお互いに、その日の自分を高めあう、

生きた時間を過ごす事が自分への一番のご褒美なんじゃないかと思う。


そうして、充実した時間をずっと積み重ねていったら、

きっと本番で面白い芝居ができるはず。


その上で。

大会の勝敗などの評価はアイスのおまけと同じ。

沢山買えば当たる確率は上がるけど、当たらない事もある。

充実した練習を沢山積めば勝てる確率は上がるけど、

結局、結果は時の運。

オマケだと思っていればいい。


そんな事考えてます。


2021年4月11日日曜日

清水眞砂子さんのお話

ゲド戦記翻訳された、清水眞砂子さんのお話をTVで聞いた。

ゲド戦記の翻訳者としてしか知らなかったが、とても興味が持てた。

満州生まれだったこと。引き上げで幼少期に死と隣り合わせの

体験をしたこと。学生時代の事。

教師をしていたが、ゲド戦記と出会って翻訳家への道へ進んだこと。

児童文学を書きながら翻訳をしていたこと。

でも大学でも教えていて、若い人との触れ合いで様々な気付きを得たこと。

難しい単語を並べる事なく、しかし、一言一言が深く納得できる話だった。

年を経てもしてしまった失敗の話とか、学生から腑に落ちる答えが出てこないのは

正しく質問をしていなかったとか。

最近自分も感じる事を言葉にしてくれる思いだった。

老いるという事のマイナスとプラスとか。

日常での何気ない普通の凡庸な事柄がいかに大切な貴重な事という気づきとか。

言葉と教育の現実とか。

今自分がやっている学生との交流は間違いでは無い事を後押ししてくれた気がする。

彼女とはほぼ20歳違いだし、戦争という極限の体験の有無からして、

悟りの深さはまだまだ足りないのかもしれないが。

それでも深く共感ができる話ばかりだった。

彼女の話をもっと聞いてみたい、そんな気がする。

彼女だけではなく、年輪をもった人々の話をもっと聞かなければ

ならないのではないか。

今の社会は(いつの世でもかもしれないが)若さとか強さとか速さとか

目先の事ばかり追求しているが、もっと根本を見据えた真に賢い言葉と

行動をなおざりにしては行けないのかもしれない。