2018年4月23日月曜日

ドクトル・ジバゴを見た

古き良き映画。

長い。
3時間20分もある作品で、若い頃見た時はとてつもなく退屈だった。
今もずっとは見ていられないので細切れで見ているんだが、
もう2回目を見ている。

ロシア革命、美女、詩、俗物、不倫、戦争、飢え、裏切り。
全てがリアルな感じがする。
もちろん、映画だし、ストーリーだって展開だって見せ方だって
いわゆる「リアル」では無いはず。
ご都合主義で、こんな事あるわけない、と言う話しなのかもしれん。

だが、そんなアラを探す気にならない。
結局、世の中にはこういう事はあるだろう、という個別のストーリー、
エピソードの寄せ集めのような気もする。
そして、全ての感情がリアルなんだ。
ストーリーなんかではない。感情がリアルなんだ。体験がリアルなんだ。

主人公のユーリもラーラも、普通の人間。善も強さももつと同様
弱さ、ずるさ、も持つ。でも、だからこそ気持ちに訴えてくるのかも。
成人君子、正しいだけ、強いだけの人間には共感できない。
努力して、正しい道を歩もうとして、幸せになろうとして、
でもなれなくて、運命に翻弄される存在。人間の悲しさ。
だから気持が伝わり、リアルなんだ。

そして、美しいヒロイン、ラーラ。
ためしに女優のジュリー・クリスティーを見てみる。
もちろん、美しい。
しかしラーラの美しさでは無い。
ロシア革命の中を生きて死んだこのラーラではない。

ジバゴが詩を捧げた、作家ボリス・パステルナークが書いた、
監督デビッド・リーンが作った、女優ジュリー・クリスティーが、
そして俳優オマーシャリフが作った美しい幻。

音楽のモーリス・ジャールが作る美しい世界の中の
存在だからこそラーラは美しいのだ。

素晴らしい映画だ。