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2019年4月28日日曜日

映画「テス」。愚かな、愚かな人間。

見終わって。
実話かと思うほどの重厚さ。
映画としての絵は美しいのだが、そこにカタルシスは無い。
ひたすら世界と生活の重みが伝わってくる。

登場人物、特に主人公テスと夫エンジェルの愚かさが心にのしかかる。
なんでこんな事してしまうんだろう、と思う。
非常な貧しさ、過酷な仕事、生活。
幸せになりたいと思い、だが日々の仕事に追われる。
そして、たまにある喜び。
そして長いつらい悲しみ。

幸せになれる、なれた筈なのに、自分の感情を乗り越えられずに
結局幸せを捨ててしまう。
他人から見ればでは愚かな行動なのだが、本人にしてみれば
それが正しいと思う選択であり、また、そういう生き方しかできない。
結局、俺もそうなんだ。
間違わないように、注意深く行動しても、取り返しのつかない
愚かな失敗をしてしまう。
誠実に生きているつもりでもその下では狡さの皮が浮きでてきてしまう。
一生懸命生きようとしていても、前に進むことができない。

そんな気持ちを呼び起こす映画だった。



2018年4月23日月曜日

ドクトル・ジバゴを見た

古き良き映画。

長い。
3時間20分もある作品で、若い頃見た時はとてつもなく退屈だった。
今もずっとは見ていられないので細切れで見ているんだが、
もう2回目を見ている。

ロシア革命、美女、詩、俗物、不倫、戦争、飢え、裏切り。
全てがリアルな感じがする。
もちろん、映画だし、ストーリーだって展開だって見せ方だって
いわゆる「リアル」では無いはず。
ご都合主義で、こんな事あるわけない、と言う話しなのかもしれん。

だが、そんなアラを探す気にならない。
結局、世の中にはこういう事はあるだろう、という個別のストーリー、
エピソードの寄せ集めのような気もする。
そして、全ての感情がリアルなんだ。
ストーリーなんかではない。感情がリアルなんだ。体験がリアルなんだ。

主人公のユーリもラーラも、普通の人間。善も強さももつと同様
弱さ、ずるさ、も持つ。でも、だからこそ気持ちに訴えてくるのかも。
成人君子、正しいだけ、強いだけの人間には共感できない。
努力して、正しい道を歩もうとして、幸せになろうとして、
でもなれなくて、運命に翻弄される存在。人間の悲しさ。
だから気持が伝わり、リアルなんだ。

そして、美しいヒロイン、ラーラ。
ためしに女優のジュリー・クリスティーを見てみる。
もちろん、美しい。
しかしラーラの美しさでは無い。
ロシア革命の中を生きて死んだこのラーラではない。

ジバゴが詩を捧げた、作家ボリス・パステルナークが書いた、
監督デビッド・リーンが作った、女優ジュリー・クリスティーが、
そして俳優オマーシャリフが作った美しい幻。

音楽のモーリス・ジャールが作る美しい世界の中の
存在だからこそラーラは美しいのだ。

素晴らしい映画だ。


2016年11月20日日曜日

「逃げ恥」がリアルな訳を考えてみました。

50代男の分析なので、性別・年代違う方はどう思われるかわかりませんが。

男性7割・女性6割は「現在交際中の異性無し」
http://news.livedoor.com/article/detail/12306876/
だそうです。
良い悪いは別として今の若い方に関して実感はありますね。
で、理由を考えてみると・・・

恋愛・交際にはマニュアル、きまりが無いせいではないでしょうか。

今の若い方はやはり枠組みが無いとなかなか行動しにくい。
枠組みの中で行動するのは上手だが、枠組みを作る事自体については
あまり想像力が働いていない気がします。

その上で、対人関係の距離が遠くなっていますから、なおさら
その距離を埋める事ができない。

子供同士が遊んでいる時に、ちょっと喧嘩になる。
すると親が出ていって、「**ちゃんと仲良くしようね」
そういう事になる。それをしないと親同士が喧嘩になってしまう。
その延長で大人になると、自分たちでルールを作るのが苦手になる。

例えば気に入った相手にアプローチする。知人でも知人でなくても。
「知人」→「恋人」という人間関係のルール変更をする訳ですが
元々存在しなかったルールを作る訳ですから勇気がいるわけです。 
そしてアプローチをするリスクを取りたく無い。
嫌われたら損ですから。
だから付き合い自体が始まりにくい。

またもし始まったとしても。
人間関係ですから付き合いが始まっても常に順風満帆という訳ではない。
喧嘩もする。あたりまえです。
その中で片方が離れようとすると、昔は追いかけた訳です。蝶々のような
恋の駆け引きですね。
ところが今は追いかける事自体がかっこ悪い、悪、ストーカー
という事になってしまう。
去るものは追わない。だから離れる方向のベクトルだけが強化される。

そうしてどんどん男女関係は離れていく。
でも本能として近寄りたいという欲求は存在する訳です。
その中でつながろうという欲求をSNSがある程度は
満たしているわけですが、それよりもっと深く繋がりたい、
という思いを満たす事はできない訳ですね。

逃げ恥が上手に行っているのは(フィクションですが)
津崎が契約書を書いて、それに対してみくりが明確に応対している
せいでは無いのかと。
明確化すればそのルールに乗る事もできるし降りることもできるから。
だから今の若い人にとって逃げ恥がリアルに感じるのではないかと思います。