2015年7月1日水曜日

表現と現実

表現は表現だけ、ただの形で本質とは関係無い、という事はない気がしてきた。
(ケースバイケースで、度合いもあるけど)

例えば言語学で、言語表現が民族の生活から影響を受けていたりする。

逆に言語から生活が見えたり。


私の仕事で言うと、例えばハードウエア設計をする時に、図面の書き方で設計の効率が
全く変わってくるし、製造の効率も変わってくる。

ソフトウエアでは言語や環境が生成効率に深くかかわるのは周知の事。

表現は本質とは関係が無いはず、なんだが、結局はやはり深くかかわる。

つまり、表現したり受け取ったりするのは人間で、その人間は有限な時間と有限な能力で
その表現を見たり理解したり作ったりするわけだ。
だから、その授受の効率で結果が変わってきたりする。

生物と無生物の間、という本で書かれているのは、生命はプロセスである、という事。

これはこの表現のしかたによる効率に深く関連しないか?

例えば脚本を書いたとする。

良い脚本が良い演出を生み、良い演出が良い演技を生む、という仮説が成り立たないか。
(何が良いかは別として)

特に演劇はプロセスが大事な気がする。というかプロセスそのもの。

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