2020年3月14日土曜日

コビッド19、演劇、人との繋がり

1.一般論
野田秀樹さんの「演劇の死」発言。

高須医院長が、公演やらなくても演劇は死なない、って言ってたけれど、
これは多分感覚の違いだと思う。
公演やらなくても人は物理的には死なない。
だが「演劇」っていうものは、コミニュティであり、文化であり、関係性
であり、情報が飛び交う一種擬似的な生命体だと思う。

例えば、コビッドにより高須クリニックの建物に入れなくなっても、
社員や患者や関係者は死なない。しかし法人としての会社は倒産するだろう。
それは法人の死だ。それと同じ。

例えばスペイン風邪と同じく2年間パンデミックになったとする。
公演ができなくなる
→生活のための仕事ばっかりやってて演劇から遠ざかる
→芝居のノウハウが無くなっていく。技術も低下する。
→観客も見る習慣がなくなる。
→公的な補助金や助成システムも申請されなければ無くなる。
こんな図式が見えてくる。

2.アマチュアについて考えてみよう。

人はなぜ演技をするのか。演劇をやるのか?

他人ともっとうまく繋がりたい。
成長したい、弱い自分を変えたいなどと言う、漠然とした思いはあっても、
人はそれほど強くないから、そのままではうまくいかない。
その手助けを演技が、演劇がやれる、のではないか。
自分という殻を演技という事で破れる事がわかるから。

例えば公演をやるとする。でも危険だから中止になる。
練習のために集まる。危険だから、と中止になる。
健康、安全、生きるためには遊びなんか諦めろ、と言われる。
言われなくても、周りが、社会が、ネットが、マスコミがみんなが言う。
遊びなんか我儘だから諦めるしかないかな、って思う。


3.自分のこと
俺は演劇作るのが好きだ。なぜか?
喋る、見る、近づく、怒る、笑う、泣く、動く、走る。
リアルな人を見る、それが演劇。
俺の場合はそれにプラスして、というか、それと同じ比率で、「作る」のが好きだ。
考える、知り合う、繋がる、協業する、助けられる、助ける、作る。
作る過程が面白い。
そして、人を育てる。方法を考える、育った人が見事な演技をする。
その成果を見るのは無上の喜び。

コビッドはそれを阻害する。
公演の機会を阻害する。
作る過程も阻害する。
人の成長の過程も阻害する。

もちろん、演劇だけでは無い。
音楽だって、ダンスだって、スポーツだって、みんなそうだ。
リアルでは一人での作業、ネット配信、小説、絵画、登山、などは
まだ少しは危険性が低い。
でも、特にリアルに人と一緒になってやることは、
その全てが阻害されてしまう。

どうすればいいんだろう?
ただ黙って耐えるのか?

他人を危険にさらす、と言われながら(思われながら?)
芝居をするのか?練習をするのか?教育をするのか?公演をするのか?
なにか別のチャネルを見つけるのか?

見えない・・・

0 件のコメント:

コメントを投稿