やはり脚本がうまくかけない。
内的整合性、論理性を重視するため、ラストから物語を作り始める。
そうすると視点が神の視点となり、主人公なり登場人物なりの
生の感情が出てこない。
で、神の視点でなくするにはどうすればいいか?
視点を狭くするために、己の目を塞ぐのはあまりにも技巧的すぎる。
さて、もう少し考えてみると、自分の年齢、経験、立場と、登場人物の状況との
違いが問題なのかもしれぬ。
登場人物の年齢設定やその場の状況にあれば、今の自分の状況とは
全く違う視点、全く違う感情が出てくる筈。
その場で生きるのは登場人物で、そのシチュエーション自体が先が見えない
状況ではあるのだが、そこに放り込まれた登場人物も、今の自分とは違う。
経験、未経験
平穏、怒涛
平静、苦痛
余裕、焦燥
ホルモンの安定、不安定
老齢、若さ
全てが不安定な世界に放り込まれた人間の感情を表せればいいんだと思う。
2015年11月9日月曜日
2015年10月3日土曜日
ツィッターで世界がどんどん狭くなる
ツィッターを初めて2年近くなる訳だが、以前から薄々感じていた事。
他のSNSも同様だと思うが、他はほとんどやっていないので、
ツィッターでの感想。
ツィッターは便利。
自分の興味が有ることはどんどん情報が入ってくる。
興味がある事の共通の知り合いも増えてくる。
遠くの知り合いも増えてくる。
するとますます自分の興味がある分野の知識が増え、コミニュケーション量が増える。
素晴らしい。
しかし、だ。
全ての事には良い面と悪い面がある。
人間の持つ時間は有限なので、今までシェアしていた、自分に興味が薄い
他の情報を入手する機会が減ってくる。
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などのメディアから知識を得る時間も減ってくる。
スケジュール管理もばっちりだから、街を歩いても、目的地に一直線。
必然的に他の事をしている時間が少なくなる。
時間が余ったらツィッターで情報を得て、これから行きますなう、をやる。
だから、隣にいる、ツィッターをやらない人と話をする機会が減る。
雑多な情報を、新しい情報を入手する機会が減る。
世界にとっての世界は変わらないが、自分にとっての世界がどんどん狭くなる。
それをわきまえて使っていきたいものである。
他のSNSも同様だと思うが、他はほとんどやっていないので、
ツィッターでの感想。
ツィッターは便利。
自分の興味が有ることはどんどん情報が入ってくる。
興味がある事の共通の知り合いも増えてくる。
遠くの知り合いも増えてくる。
するとますます自分の興味がある分野の知識が増え、コミニュケーション量が増える。
素晴らしい。
しかし、だ。
全ての事には良い面と悪い面がある。
他の情報を入手する機会が減ってくる。
テレビ、ラジオ、新聞、雑誌などのメディアから知識を得る時間も減ってくる。
スケジュール管理もばっちりだから、街を歩いても、目的地に一直線。
必然的に他の事をしている時間が少なくなる。
時間が余ったらツィッターで情報を得て、これから行きますなう、をやる。
だから、隣にいる、ツィッターをやらない人と話をする機会が減る。
雑多な情報を、新しい情報を入手する機会が減る。
世界にとっての世界は変わらないが、自分にとっての世界がどんどん狭くなる。
それをわきまえて使っていきたいものである。
2015年9月14日月曜日
脚本の作り方
どうやって書けばいいか?
2つの対立した正義をつくる。
例えば
兄弟二人がいる。離れ離れになり生い立ちが違う。
離婚した夫婦。母と暮らす弟。父を助ける姉。
どちらも正義。
人の人生は有限だから、その中で有限な正義しか持てない。
それがぶつかるとき葛藤と悲劇が。
また喜劇にもなりうるかもしれない。
2つの対立した正義をつくる。
例えば
兄弟二人がいる。離れ離れになり生い立ちが違う。
離婚した夫婦。母と暮らす弟。父を助ける姉。
どちらも正義。
人の人生は有限だから、その中で有限な正義しか持てない。
それがぶつかるとき葛藤と悲劇が。
また喜劇にもなりうるかもしれない。
2015年8月13日木曜日
成長における形態と社会組織の形態
生物が成長の過程で、形ができてくる。
体内の物質の濃度勾配とかが原因で。
人間関係もそういう事は無いか。
人間関係もコミニュケーションの伝達速度は有限である。
また伝達の深さも有限である。
だから距離が遠いと立場が変わり敵になったりもする。
体内の物質の濃度勾配とかが原因で。
人間関係もそういう事は無いか。
人間関係もコミニュケーションの伝達速度は有限である。
また伝達の深さも有限である。
だから距離が遠いと立場が変わり敵になったりもする。
2015年7月26日日曜日
2chを見て
悪意だけで人は死んでしまう。
悪意のある言葉を投げつけられただけで人は死んでしまう。
言葉はただの信号なのに、なぜだろう。
でも、本当の話。
特に親からの悪意は、もしくは、親からの無関心は酷い苦しみを子供に与える。
人はコミニュケーションにより大きく影響されるって事か。
虎は群居動物では無い。
他の虎から吼えられても虎は死なない。と思う。
親虎から育児放棄されたら子虎は死ぬ。
それは具体的に放棄されたら、だが。
悪意のある言葉を投げつけられただけで人は死んでしまう。
言葉はただの信号なのに、なぜだろう。
でも、本当の話。
特に親からの悪意は、もしくは、親からの無関心は酷い苦しみを子供に与える。
人はコミニュケーションにより大きく影響されるって事か。
虎は群居動物では無い。
他の虎から吼えられても虎は死なない。と思う。
親虎から育児放棄されたら子虎は死ぬ。
それは具体的に放棄されたら、だが。
2015年7月14日火曜日
脚本の書き方(デスノートを見て)
脚本が苦手である。
なかなかうまく書けなかった。
一つ判っていた事は、脚本の内的必然性があること。
たとえば、A、B、Cという因果関係で話が進みラストDになる、という事。
また、脚本=セリフという図式で考えると、セリフを大量に書く必要がある。
では、セリフというのはなぜ生まれるのか?
①それは対立から生まれるものだと思う。
例えば喧嘩している。
②もしくは情報を交換するために生まれる。
という事は、立場が違う二人以上の人間が必要となる。
それはいい。
しかし、それ以上が進まなかった。
つまり、因果の必然性を、自分もしくは観客が既に知っているとすると、
別に会話する必要性が無い。だからセリフを書こうという気にならない。
立場としたら、脚本家としては物語を外からマクロ的な見方で見ていたわけだ。
しかし、最近思うのは、観客はストーリーと供に、情報を小出しにされるわけだ。
というか、小出しにして良い、訳だ。
100の情報のうち、30提示されたら、残りの70を知りたくなる。
それが、人間の社会的な本能なんだろう。
例えば推理ドラマでは、犯行があって犯人が後からわかる。
もしくは犯人がわかって、犯行動機があとからわかる、とか。
ディズニーランドに行き、アトラクションで色々探検して、最後に謎がすべて解ける、
という感じか。
またはこういう事か。
なぜ対立するか? お互いがお互いを充分に知らないから対立する。
そして、お互いを知って和解する。
つまり、不完全な情報による対立。
もしくは、最初の状態で、登場人物がベストと思う行動をする。
しかし、時間が経つと状態が変わる。 だから、最初に取った行動は
今のベストではない。
例えば雪山に行く。 晴れた、と思って下山しようとするとまた吹雪で遭難、とか。
それはベストだと思わずにただ遭難、というより、劇的な感じがする。
ベストと思い行動するのは幸せ、望み、希望。 でもそれにより結果は悲劇。
そういう事は現実では良くあるが、それは見ていてとても悲しい。
つまり、時間により状況が変わる事による対立。
時間が戻らない、という事による、今の自分と将来の自分との対立。
上記3要素を上手く組み合わせると、しっかり脚本がかけそう。
まとめると
①情報を観客(もしくは登場人物に)小出し。情報不足による対立。
②時間により状況が変わる(過去と未来の対立)
なかなかうまく書けなかった。
一つ判っていた事は、脚本の内的必然性があること。
たとえば、A、B、Cという因果関係で話が進みラストDになる、という事。
また、脚本=セリフという図式で考えると、セリフを大量に書く必要がある。
では、セリフというのはなぜ生まれるのか?
①それは対立から生まれるものだと思う。
例えば喧嘩している。
②もしくは情報を交換するために生まれる。
例えば知らない二人がお互いを知ろうとして会話している。
という事は、立場が違う二人以上の人間が必要となる。
それはいい。
しかし、それ以上が進まなかった。
つまり、因果の必然性を、自分もしくは観客が既に知っているとすると、
別に会話する必要性が無い。だからセリフを書こうという気にならない。
立場としたら、脚本家としては物語を外からマクロ的な見方で見ていたわけだ。
しかし、最近思うのは、観客はストーリーと供に、情報を小出しにされるわけだ。
というか、小出しにして良い、訳だ。
100の情報のうち、30提示されたら、残りの70を知りたくなる。
それが、人間の社会的な本能なんだろう。
例えば推理ドラマでは、犯行があって犯人が後からわかる。
もしくは犯人がわかって、犯行動機があとからわかる、とか。
ディズニーランドに行き、アトラクションで色々探検して、最後に謎がすべて解ける、
という感じか。
またはこういう事か。
なぜ対立するか? お互いがお互いを充分に知らないから対立する。
そして、お互いを知って和解する。
つまり、不完全な情報による対立。
もしくは、最初の状態で、登場人物がベストと思う行動をする。
しかし、時間が経つと状態が変わる。 だから、最初に取った行動は
今のベストではない。
例えば雪山に行く。 晴れた、と思って下山しようとするとまた吹雪で遭難、とか。
それはベストだと思わずにただ遭難、というより、劇的な感じがする。
ベストと思い行動するのは幸せ、望み、希望。 でもそれにより結果は悲劇。
そういう事は現実では良くあるが、それは見ていてとても悲しい。
つまり、時間により状況が変わる事による対立。
時間が戻らない、という事による、今の自分と将来の自分との対立。
上記3要素を上手く組み合わせると、しっかり脚本がかけそう。
まとめると
①情報を観客(もしくは登場人物に)小出し。情報不足による対立。
②時間により状況が変わる(過去と未来の対立)
2015年7月1日水曜日
表現と現実
表現は表現だけ、ただの形で本質とは関係無い、という事はない気がしてきた。
(ケースバイケースで、度合いもあるけど)
例えば言語学で、言語表現が民族の生活から影響を受けていたりする。
逆に言語から生活が見えたり。
私の仕事で言うと、例えばハードウエア設計をする時に、図面の書き方で設計の効率が
全く変わってくるし、製造の効率も変わってくる。
ソフトウエアでは言語や環境が生成効率に深くかかわるのは周知の事。
表現は本質とは関係が無いはず、なんだが、結局はやはり深くかかわる。
つまり、表現したり受け取ったりするのは人間で、その人間は有限な時間と有限な能力で
その表現を見たり理解したり作ったりするわけだ。
だから、その授受の効率で結果が変わってきたりする。
生物と無生物の間、という本で書かれているのは、生命はプロセスである、という事。
これはこの表現のしかたによる効率に深く関連しないか?
例えば脚本を書いたとする。
良い脚本が良い演出を生み、良い演出が良い演技を生む、という仮説が成り立たないか。
(何が良いかは別として)
特に演劇はプロセスが大事な気がする。というかプロセスそのもの。
(ケースバイケースで、度合いもあるけど)
例えば言語学で、言語表現が民族の生活から影響を受けていたりする。
逆に言語から生活が見えたり。
私の仕事で言うと、例えばハードウエア設計をする時に、図面の書き方で設計の効率が
全く変わってくるし、製造の効率も変わってくる。
ソフトウエアでは言語や環境が生成効率に深くかかわるのは周知の事。
表現は本質とは関係が無いはず、なんだが、結局はやはり深くかかわる。
つまり、表現したり受け取ったりするのは人間で、その人間は有限な時間と有限な能力で
その表現を見たり理解したり作ったりするわけだ。
だから、その授受の効率で結果が変わってきたりする。
生物と無生物の間、という本で書かれているのは、生命はプロセスである、という事。
これはこの表現のしかたによる効率に深く関連しないか?
例えば脚本を書いたとする。
良い脚本が良い演出を生み、良い演出が良い演技を生む、という仮説が成り立たないか。
(何が良いかは別として)
特に演劇はプロセスが大事な気がする。というかプロセスそのもの。
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