2016年11月12日土曜日

いいね!のテクノロジと民主主義

(0)まとめ
ネットは双方向のテクノロジである。ネット以前は直接的民主主義を
機能させる事は不可能だった。しかし、ネット以後はそれが可能になってしまった。
ネット以前は不可能だった、少数の民意をロス無く集約する事が可能になった。

意見が集約されると、人々の認知が変わる。認知が変われば行動が変わる。
社会を動かすのは人々の力である。
それにより、社会の構造も変化していくのではないか。

しかし、その際に、ネット以前の方式の民主主義(多数決の原則)をそのまま
当てはめて社会を運用するのは難しいのではないか?

結論は全くまとまっていないし、全くの問題提起であるが、以下に
実例を上げてみる。


(1)なぜ音楽聴き放題サービスのアーティストへの支払いはこんなにも少額なのか?
http://gigazine.net/news/20150320-why-spotify-pay-little/


音楽のストリーミングサービス
大手聴き放題サービスで、あるインディーズバンドの曲で支払われた金額は
月額0.9円との事。1回のではなく月額。

聴き放題サービスなので、その中で聞かれた回数の比率に応じて支払われるので、
よほど受け入れられる曲、聞かれる曲で無いとペイされない。
それはわかる。

これは、広い意味での民意ではないか。民主主義ではないか?従来型の民主主義ではないか。

ギガジンでは
「音楽などの芸術作品がすぐに評価されるとは限らず、また、人気のある作品が優れているとは限らないことも明らかです。優れた作品が多様性の中から生まれてくるという芸術作品の特性を考えたときに、公平ではあるものの露骨な「弱肉強食の世界」が広がる音楽聴き放題サービスの仕組みの中で、優れたアーティストが育っていくということは極めて難しいのかもしれません。」
と結んでいる。

それもわかる。

(2)「自分は犠牲になりたくない」自動運転車の抱える倫理ジレンマ、意見調査でも明らかに

http://www.gizmodo.jp/2016/06/moral_dilemma_of_autonomous_ca.html

自動運転カーが実用化されつつある。しかし自動運転カーをどう動かす?という
局面に立つと非常に難しい。

つまり、運転中に1人と3人とどちらかぶつかる必要があった時、自動運転カーは
どちらにハンドルを切るべきか。
プログラムだからどちらにもできる。それは自動車を作る側の意思で何にでもなる。
ではどうすべきか?1人を殺すのと3人を殺すのは?

また、運転者1人が死ぬのと歩行者10人が死ぬのをどちらを選択するのか?
オーナーは運転者が死ぬ方自動車を買うか?
売れない自動車は普及しない。消費行動はある意味での民主主義である。

自動運転カーの実用化の障害は技術ではなく、むしろ倫理だと思われる。
しかも、その倫理も民意で変わる。民意も技術の進化で変わる。
歩行者より運転者を優先する自動運転カーが売れたとする。
その事実が社会に公表されたら、その製造・販売会社は社会に受け入れられるのか?

(3)検索エンジンの歴史からみるGoogle検索アルゴリズムの変遷
http://joesbar.blog.jp/archives/1031100211.html

私の実感としては、googleの検索技術、ページランク登場以前は検索エンジンの
精度は非常に低いものだった。これがgoogle登場以後、検索が「使い物になる」
という感じになった、と記憶している。

これは基本概念としてのページランク技術、つまり
「人々から良いと評価される物は良い」
というアイデアが良かったのだと思う。
まさに、これは民意。直接型民主主義である。

しかし、これに対して技術で結果を変えるような技術も色々出てきた。
いいね、されるように見せかけるSEO技術。

多数決の技術だから、多数を抽出するテクノロジにより、色々な結論が
導かれてしまう。
選挙区を変えて選挙結果が変わる、ゲリマンダーという施策と同じ。








0 件のコメント:

コメントを投稿