2017年1月22日日曜日

母のこと

母が認知症になった。

発端は10月後半の従兄弟からの電話だった。
85歳の母は従兄弟の会社で50年近く仕事をしていた。
数ヶ月前から、言動がおかしくなってきたと言う。

同居している兄に確認し、相談した上で翌日、仕事をやめるよう言った。
母はその言葉を噛みしめるよう繰り返し、頷き、そして翌日から
行くのを辞めた。

それから3ヶ月。
認知症と診断され、薬を飲み始めたが、以前とは行動が変わってきた。
特有の症状で今まで通っていた体操や敬老会などにも
行けなくなってきた。
日々、行動がかわっていき、会話や意思の疎通ができなくなり、
せん妄が激しくなり、昼夜も逆転した。
兄がやっていた生活サポートも限界になり、そして入院する事になった。
病院でも薬が合わずに止めてしまったから、もう薬学的治療はできず、
認知症に関しては今は自然に任せているという状況だ。

母は変わってしまった。
穏やかで抑制が効いて、いつも他人の事、特に家族の事を慮る事ができた母。
人の話を聞いて、頷いてくれて、世間話をする。仕事、子供、病気。
ただそれだけだったが、それが失われてみるといかに貴重な時間だったか。

今の母は常に遠くを見て、話をしていても、常にどこかへ
行こうとしている。母にしかわからないどこかに。
家族、親戚の近況を話してみるが、殆ど会話が続かない。
目の前にいるのは母ではなく、存在しなかった母の姉妹のよう。


興味をひくと思って昔の話を聞いてみた。
でも、以前してくれた話をもうできない。しようと思っていない。
俺の子供の頃の事。良いことも悪い事もあっただろう会社の事。
酒と借金に悩まされた父の事。

結婚前の事、仕事の事、つきあっていた人、子供の頃の思い出。
嫌なこと、辛かったこと、楽しかった事。希望、絶望。

俺の子供の頃。
酔った父の罵声の中で母と俺たちは一蓮托生だったと思う。
俺の中ではある意味戦友のような感覚もあった。
父が死に、平穏な数年が経ち、いつまでもこのままでいられる筈は
無い事は頭では知っているつもりだった。

でも、現実は違った。
母の心はもう帰ってこない。世界で、地球で、この世でたった1つしかない
母の人生が消えてしまった。
普通の、あたりまえの人生。でも、だからこそ貴重な人生が、伝える人も無く
空に消えてしまった。
母の沈黙の中で、その事実を実感して俺の中も喪失感で一杯になった。
生きる意味を感じられなくなった。
なんのために生きるのか。真の意味で俺に存在価値など無い。

この前、言ってみた。
産んでくれてありがとう。育ててくれてありがとう。長い間大変だっただろう?
返事は無かった。
遅すぎた。俺のありがとうはとてつもなく遅すぎて、もう届かなかった。
俺は馬鹿だ。

でも、と思う。
目の前にはいないが、母は消えてはいない、とも思う。
時空の彼方、85年間の過去の時空には今も母の人生は存在し、
母の心は存在している。
もう連絡が取れない、遠い異国に住んでいるんだと思う。
そう思いたい。

そして、俺にもまだ少しは義務が残っているのかもしれない。
やらねば。
俺を生み、育ててくれた母。
今は異国にいる母に顔向けできないから。
明日には変わる俺の心だけれど、今はそう思っていよう。

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