地区大会終了。
以前から指導しているが、今迄勝負としての成績は良くない。今迄芝居の面白さ、という点では努力してきたつもりだし、生徒指導していく過程で手ごたえを感じている場合も多かった。それにしては勝敗という名の結果が付いてこない。
正直、今まで面白い芝居作りは考えていたが、勝つという意識は無かった。
しかし、これダメでは?と思う芝居ではなく、これ良いな、という芝居で「勝てない」。
このような結果に認識がついてこないため、私も長年の不思議ではあった。
今回、勝ちにこだわった生徒に同席して審査員さん達に聞き取り調査をした結果、
イマイチはっきりしなかった審査基準について少しわかってきた気がする。
以下、「勝つための演劇」、および基準について考察。
1.舞台上での平均値が高い
高品質で面白い芝居でなくてはならない。 作り手、学生がやりたい芝居、
見せたい芝居など関係無い。やりたい芝居で高品質を、というのは希望的観測。
結局、舞台上で見えている物でしか審査されない
ずれた音響、下手な演技、良くない舞台装置など、ダメな物が有っては平均点が下がる。
80点のテスト2科目なら平均80点。10科目うけても平均が50点なら50点。
ダメなテストを受けてはならない。
見せたい芝居でなく、見えている場所でしか判断されない。
作る過程で生徒が元からどれだけレベルアップしようが、努力しようが関係ない。
学生の人間関係で、お互い尊重しあう、などという目に見えない物は審査対象外。
舞台セット、大道具など目に見える物も大きな審査対象だが、誰が作ろうが
買ってこようが関係ない。兎に角「その芝居に効果的かどうか」が重要。
2.審査員との意識の違い
審査員は演劇を何十年もやったり見たりしているため、高校生とは全く意識が異なる。
物の見方の解像度が生徒とは何十倍も違うし、細かい細かい細かい事が気になる。
なので、学生が自主的に考えて努力して30点になるなら顧問が考えて60点で
やらせた方が高得点。難しい「考える」という事、特に演出、キャスティング、脚本など
経験値が必要な事は顧問、大人、客観的人間の判断に従わないと10中8、9失敗する。
そして、発声、動き、など見てわかる個人技が上手ければ審査対象として
加点されるが、面白さ、などという抽象的な概念は、芝居を死ぬほど見慣れている
審査員に取っては非常に厳しく判定される。「ああ、こんな演技は前に見たな」と。
結局、自分達が満足しても審査員が喜ぶ芝居でなければ勝てない。
あまりまとまっていないがこういう感覚。
ここで、判断基準に、教育、自己実現、喜び、連帯感、などという要素は全く
考慮されていない事に注意すべきである。つまり作り手の事情、大変さ、過程など
全く基準の外なのだ。当然である。目に見えないのだから。
勝つためにはとにかく、「目に見える物だけが素晴らしい。他は全て捨てる」という
選択が必要となるだろう。
その結果、部活をやっている生徒に良い結果が得られるかもしれないし、
それ程得られないかもしれない。
だが、そんな事は関係ない。
勝ちに行く、とはそういう事なのだ。